『正義なき力が無力であるように、力なき正義もまた無力である』
この台詞で、ぴんと来た人はかなりマニアな人である。
どっちかと言えばマイナーの漫画のいっせつであるが、その漫画をよんでから15年以上たった今でも、その漫画のこのフレーズは好きである。
なぁんて書き出しで書いてみたのだが、、、
1ヵ月ほど前のアウェー浦和戦の後に城福監督は、『サッカーをしたかった』と言った。
明らかに不調な空気が流れた浦和に対して、試合に勝って、勝負に負けたというより、まともにサッカーすらさせてもらえず、指を加えたまま90分が過ぎてしまった感じがある。
相撲の話になるが朝青龍がいわゆる『横綱相撲』をしないときがある。よく言えば勝利に対して貪欲であり、悪く言えば、相撲界全体を考えない目先の勝利をめざしている。横綱があまり頭をつけないのはそんな理由があるともいう。
勝つために全力を尽くしていると言えば聞こえが良いかもしれないが、一方で『横綱に胸を借りる』ということばもある。横綱なら横綱らしくただ強いだけではなく、魅了する相撲をしてほしいと思う考えもある。
こんなたとえを書いたのは城福監督の真意がわからないからである。
もちろん、浦和に対して『サッカーをしたかった』と怒っているのはわかる。
それは、アジアのチャンピオンになり、あらゆる面で日本サッカー界のトップを走っている浦和に対しての憤りなのか?
もしくは、自分のサッカーの価値観との違いに対して怒っているのか?
どっちにしてもいくつか言えることはある。
今の浦和のサッカーは強いサッカーであるが客観的にみればおもしろいサッカーではない。
磐田の黄金時代の時に、磐田の支援者以外にも、一目をおいていた他のチームの支援者やサッカー好きがいたように。いわゆる90分間のサッカーをみても、勝利という結果以外にサッカーはおもしろくはないと個人的には思う。
勝利という最大限の目標のために動いているのは認めるがね。
まぁ、それでも、サッカーの価値観をどの辺に求めるかはサッカー好き一人一人の価値観の違いにあらわれている。
0失点に抑えることに美学を求めるもの
1点でも多く得点をとることに美学を求めるもの
90分間全力でピッチ上で戦うことに美学を求めるもの
勝つために言い方悪いが、マリーシア的な戦いも辞さないという考えのもの
サッカーに対する美学は各チームそれぞれ、
ただ、乱暴な言い方をすれば、どんなサッカーをしていたとしても90分間戦いゴールをわった回数が1回でも多いチームが勝つのがサッカーである。
何がいいたいかと言えば、城福監督の心理はともかく、たとえ、浦和のサッカーが、城福監督が認めなくても、それはサッカーの価値観の違いであるため、そんな話は不毛な議論である。
だが、それでも、浦和のサッカーを否定したい気持ちはわかる。だから、その否定をしたいのならば、サッカーをしていないと言う相手に同じピッチで結果を出してほしい。
そして、その城福監督のコメントは浦和に対する宣戦布告だと思いたい。
自分達が正義何ていわない、だけど自分達の理想のサッカーと浦和のサッカーが違うからこそ、ピッチで結果を。
自分達のサッカーでねじ伏せてほしい。
それは負けがこむと泣き言を言い、勝ちたいチームに行きたいなら鹿島か浦和に行けという不毛な議論につながっているのかもしれないが、、、
私は、ぼやくほうも、浦和に行けばというほうもどっちも東京のサッカーは良いサッカーと言ったら言いすぎだが、自分の好きなスタイルだからこそ、結果をだしてほしいと願っていると思うから